幼少期~小学生
こんにちは。はること申します。
このページを見ていただきありがとうございます。
現在は『本物の潜在意識活用』により
現実を想い通りに創り出すたったひとつの確実な方法を
お伝えしたりしています。
また、小さい頃から未来を言い当てていた能力が再度開花され
亡くなった方からのメッセージをお伝えしたりなどもしてます。
こんな私ですが…
まぁ、小さな頃から苦労の連続でした。
私の両親は祖母から譲り受けた小さな酒屋を営んでいました。
結婚してすぐに私が生まれたのですが、母は私を育てることが
出来ませんでした。
姑に奪われたのです。
祖母はそれはそれは厳しい人だったようです。
しかも明治生まれなのに3回も結婚して子どもなし。
再婚相手の祖父の子どもに酒屋を継がせようとしたらしいのですが、
祖母のあまりの気の強さについて行けず逃亡。
その後父が養子に入ったとのことです。
そして、嫁として迎えられたのが祖母の実の妹の子ども
つまり姪を迎え入れた訳です。
今では信じられない完全なる政略結婚。
その祖母は8人兄弟の長女で弟や妹の面倒を見るために
小学校は2年生までしか行けなかったそうです。
小さな時から親元を離れて丁稚奉公。
その時に仕えていた奥様から食事の味付けが悪いと
何度もやり直しさせられたそうです。(料理はうまい)
大きくなって結婚するも今で言うDV旦那。
当時は恋愛結婚なんてない時代でしたから
結婚してみて「とんでもない」ってヤツだったから
逃げた~と言っていました。
戦後に小さな酒屋を始めた祖母は
毎日税務署の人と喧嘩してたらしい。
だって、小学2年生までしか学校に行っていないから
読み書き、計算が出来なかったんだって。
当時は毎日税務署に酒税の報告が必要だったみたいで
漢字が違う、計算がオカシイとほぼイジメのように
扱われたとのこと。
しかし負けん気の強い明治生まれは
そこでへこたれることなく猛勉強をしたそうです。
しかも現在では車でも20分はかかるような所へ
リヤカーを引いて毎日お酒を仕入れに行っていたそうな。
マジ、私にはそんなことムリ。凄いばあちゃんだわ。
そんなこんなで、跡取りが出来たばぁちゃんは
商売に専念しなさいと、私を両親から取り上げて
私を育てていたそうです。(恐ろしすぎる)
「たまには子ども一緒に寝たい」と迎えに来た
両親に対して
「いやだ~~ばぁちゃんちに帰る~」と泣き叫ぶ私。
夜中に祖母の元へ返しに行ったこと何度もあったと
大人になって聞きました。
さぞかし、父も母も辛かったろうと思います。
そんな背景もまったく知らない子どもの私は
「わたしはお父さんにもお母さんにも嫌われたから
おばあちゃんちに預けられた。
いらない子なんだ。捨てられたんだ」と思ってました。
でもね、おばあちゃんはとても良く私をかわいがってくれました。
おやつもいつも「一番上だから」と
弟たちよりも多くくれたり、どこに行くにも私を
連れて行きました。
小学校4年生頃まで一緒にお風呂に入って
頭を洗ってくれていました。
私には二人の弟が生まれるのですが、
弟たちは両親と一緒に酒屋の2階に住んでいました。
何年かすると両親と弟たちが祖父母の家に越して
きて2世帯で住んでいました。
しかし、あれは忘れもしない小学校4年生の時
二段ベッドの上に寝ている私を起こして母が
「お父さんとお母さんと〇〇、△△(弟たち)は
またお店に住むことになったから。
必ず迎えに来るから、それまでココで待っててね」
と言われました。
「また、わたしだけ置いて行かれる」
布団にもぐって泣きました。
お母さんの顔が見たくて学校の帰りに
酒屋に寄っても
「遅くなるとおばあちゃんが心配するから
帰りなさい」と言われて
また悲しくなってとぼとぼと裏山に行って泣いたことを
覚えています。
今となっちゃ
厳しい姑 🆚 気の弱い嫁の構図でしょうか。
(実際はこの10年間で何度も、一緒に住んでは半年くらいで、両親と弟たちが店に戻るという
繰り返しでしたから、そのたびに嫁・姑バトルがあったんでしょう。)
でも、そのころから週末は両親の居る
酒屋の2階に泊まりに行くようになりました。
むむ、なんだこの朝ご飯は?
ロールパンにハムやレタスが挟まってる!
この美味しいものは何だ!!(ハンバーグ)
おばあちゃん家の朝ご飯は
ご飯、お味噌汁、お漬物 なんか茶色いもの
お母さんの作る朝ご飯は カラフルだし
なんか美味しい!
親子で遊びに行くのはデパートの屋上のすっごく
楽しい乗り物や食べものがあるところ。
おばあちゃんと一緒に行くのはお寺やひなびた温泉。
しかも年寄りばかりで子どもはいない。
一度おばあちゃんに
「ハンバーグ食べたいな」と言ったら
お魚ハンバーグが焼かれて出てきた。
確かに…パッケージに「ハンバーグ」と
書いていた。
そんな生活がしばらく続き
私は、どんどん弟たちが憎くなってきました。
「あんた達ばっかりお母さんにかわいがって
もらって」悔しい!
はい。イジメてました。
当時は私は体も大きく背も高かった。
弟たち2人はひょろひょろしてたから
さぞかし私が怖かったでしょうね。
小学校6年の時に書いた詩が新聞に載りました。
タイトルは
「弟がにくい」
それを見たおばあちゃんが慌てて
私を両親の元に戻したのでした。
小学校6年生の冬の事でした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
*青春期へ続きます~